2018年2月6日火曜日

2日 念佛座談会

 寒い日が続きますね。
今回は『松並松五郎念佛語録』より


〇黒野の小里さん宅に詣り、帰りに私と大和へお越し下さった。夏の盛りでした。車中で雨が降り出した。小里氏、こまったこまったと連発。それに対し、自然にまかせておけばよろしいやないか、家を出る時雨模様であるのに傘を持たなんだのならともかく、あのとき晴天でしょう。雨が降ったら濡れたらよいのや。それを濡れまいとするから苦になる。下車する頃には雨が上がって晴天です。濡れたとてあなたに着替えて頂く衣類はあります。こまったこまったと云う口で念仏聞きましょう、と。大和え着けば晴天。それそれ見なさいな、何にもならぬ計らいは心の苦です。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。帰られてから手紙頂きました。あんな無理なこと、もう絶交だと腹の中で思っていましたが、まことまこと有り難うございます、と。私もあやまりの便りを出しました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏


〇・・・日々の所作が如来様の御計なれば、称えられる時も、その時の流れに、流れにまかせて・・・
一遍上人の歌に
 仏こそ いのちと身との あるじなれ 我が我ならぬ こころ振る舞い


 松並さんが黒野にある小里さんのお宅にお説教に赴き、その帰りに小里さんと一緒に大和(松並さんの自宅)まで帰ってきた時の話です。小里さんの家を出る時は晴天で、電車の車中で雨が降り出し小里さんが「こまったこまった」と連発していたのですが、大和の駅で下車した時には晴天だったということです。こういう事はよくありますね。「あの時やっておけばよかった」という事がなんとも多い生き方をしているものです。

 しかし、ひとたび電車に乗ってしまえば、どうする事もできません。どうすることもできないとわかっている事でさえも何とかしたいと計らい、どうにもならない事実を受け止めきれずに苦しんでしまいます。「雨が降ったら濡れたらよいのや。それを濡れまいとするから苦になる」つまり因縁に随って生きて行くしかない、と続いていくわけですが、ここまではよくあるような話でもあります。
 しかし、「こまったこまったと云う口で念仏聞きましょう」となるわけです。ここが世間的な解決方法とは少し違うところではないでしょうか。しかも「念仏〝聞きましょう″」と。困ったから念仏唱えて何とかしよう、ではありませんね。困るのが人生です。その困る人生と念仏がどのように結びついているのでしょうか。そこを尋ねるのがご聴聞でありましょう。

ナンマンダブツ

次回に念佛座談会は2月12日です。