2017年3月24日金曜日

彼岸会を終えて

今年の春彼岸会も執り行う事ができ、ご参加のみなさんとお勤めをし、ともに念仏申しました。

 最近は世界的に政情不安や暴力的なテロ行為などが頻発しております。
国内を見渡しても不信、虚偽からなる不安が増大しているようでもあり、
個々に於いては無明から来る迷いにより安寧とは程遠い人生を送っています。

 光明は罪業苦悩の姿を照らし出し、名号を聞くところに如来の大悲心を感応せられるのです。
往生浄土の機は今ここに顕わになり、彼岸たる安養浄土に生まれさせるとの如来の本願を信ずべしとの宗祖のお言葉を聞く機縁が彼岸会の願いでもあります。

住職法話より
「凡夫というのは自分の思い込んでいる狭い世界に閉じこもりそこから出れない存在のことです。
そして、自分で感じている世界を絶対化し仏の示された領域をはねのけているものです。
その凡夫が弥陀の光明に遇うということは具体的に言えば教えを聞くということで、それによって
安らかで広大な領域があるのだと知らされるのです。
光明が名号となって念佛申し、聞くことに依らなければ狭小な考えから出れないのが凡夫です。」
                                         
「阿弥陀様とは皆さん出遇っているんです。阿弥陀様が寄りそっているのだけど、気が付かないだけです。
聞法しているか否かは関係なく、どんな人でも阿弥陀様が寄りそっているのです。
しかし、気が付こうという心も起こらないものです。
この世の金儲けや人間関係ばかりで阿弥陀様の事は考えないが、阿弥陀様の方が出遇いたい呼びかけて下さるのが
ナムアミダブツ。それに気が付いたのは私ではなく、お釈迦さま。それがお経に説かれているからそれを聞かせてもらうのです。」

ナンマンダブツ

もうすぐ4月です。
4月22日は先日告知いたしました『永代経法要』が執り行われます。


桜はまだですかね


2017年3月17日金曜日

12日念佛座談会

まず、本日のテキストです。


・如来永劫の修行を全体施名として名に体の徳を全うして施す法なれば百千音声の法なり。音声の法なれば、六字の謂われをききひらくなり。六字の謂とは助け上手をきくのなり。

・しかしきくと雖も、声と言葉は心の使いゆえに、声にはなれ言につかず、聴聞にわかれ弥陀のこころを知る一つ。知る一つを知るにあらず、知れた心に目をかけず、信心の功をみず、所信の法功を知る一つ。


どちらも香樹院徳龍(こうじゅいん とくりゅう)師の言葉です。
 念佛寺の座談会は先哲の語録をテキストとし、そのお心をたずねしていきます。真宗は仏法聴聞という事に尽きるわけですが、何を聞くのかというと本願のお心に他なりません。本願のお心を受け取り、受けとめたままを念佛の仲間を話し合うのが座談であります。自分の都合にあわせて聞くのは簡単なことですが、それはあくまでも自分の思いであり本願のお心をそのままにいただいているわけではありません。

 自分では気が付かないものですが、その通りに受け取っているようであっても自分の主観や疑いを起しているものです。座談の場では自分の主観や疑いを知る機会でもあり、お育ての場でもあります。お聖教や先哲の言葉が素直に受け取れないの当然の事です。初めから素直に受け取れない程、私たちの疑い心の根は深く自分の力で断つ事が出来ないと知らされるものです。

 しかし、それを放置するのではなく自分の課題としていく中に仏道の歩みというものがあります。
 香樹院師の「六字の謂われをききひらく」ということですが、主観的であっても疑いを離れることが出来なくても、まず声となり音となって私に届いているナムアミダブツに親しみ、そのお心を聞き続けることか肝要となります。
 これは理知分別的に解釈するのではなく、現に私に届きはたらいている阿弥陀仏との直接的具体的出遇いでもあります。それには私の心には少しも用はありません。私がどう思うかではなく徹底して阿弥陀様が私にどう仰っているのかをお念仏に聞いているのです。

ナンマンダブツ

3月22日は念佛寺彼岸会です。







2017年3月10日金曜日

4月22日 念佛寺永代経 のご案内

念佛寺永代経を来月22日に勤めます。
 
 真宗寺院の永代経は諸宗の永代供養とは異なる意味合いで勤まります。諸宗の場合は永代に渡り経典を読誦し故人の冥福を祈り供養するとされていますが、真宗寺院の場合は仏法を永く聴聞する機縁として執り行われます。
 
 故人の永代供養を済ませたら後は心配がないと思われるかもしれませんが、供養して安心している私自身が「たすかならい身」である事を知らされるかどうかが問われてきます。真宗寺院の永代経は助からない私を必ず助けようと思い誓われた阿弥陀様の本願のお心をいただく大切な場であります。どこの真宗寺院でも結構です。どうぞご聴聞してください。


南無阿弥陀仏


念佛寺永代経


日時: 4月22日(土曜日)


時間: 午前10時 お勤め お勤め終了後住職法話
           
             休憩 
 
             午後2時 お勤め  お勤め終了後御講師法話


持ち物: お念珠  お勤めの本(お寺にも用意してあります)


御講師案内

渡邉愛子先生

京都光華女子大学非常勤講師
1946(昭和21)年、神奈川県生まれ。
大谷大学および同大学院で原始仏教を学び、京都光華女子非常勤講師。
著書に「ジャータカ物語」「仏典童話」ほか。

渡邉先生は他の経典を含めて仏典童話を書き続けていらっしゃいます。またその作品は、英語やエスペラント語にも翻訳されて、国内外に広くブッダの心を伝える物語として読まれています。

『ジャータカ物語』
『ジャータカ物語』というのは、お釈迦様の過去世の物語集なんです。「ジャータカ」という言葉は、直訳しますと、「生まれてあった時のこと」というような意味で、つまり過去世の物語、そういうことでございます。古代のインドでは、輪廻転生(りんねてんしよう)ということが信じられていました。お釈迦様は、初めからお釈迦様だったのではなくて、過去世には、ウサギとか小鳥とか、そういう動物の姿であったこともありました。そういう物語を集めたのが、「ジャータカ」として伝えられているのです。日本では特に早くから翻訳されて伝えられておりまして、『今昔物語(こんじやくものがたり)』とか、『宇治拾遺物語(うじしゆういものがたり)』とか、そういうものの中に『ジャータカ物語』が入っております。「月のウサギ」というのがありまして、日本人はかなり早くから、お月様にはウサギさんがいるとズーッと思ってきました。そのルーツには、実は「ジャータカ」の中に書かれているということなんです。(「宗教の時間」より抜粋)


2017年3月6日月曜日

2日念佛座談会

今回のテキストは『松並松五郎語録』より


・南無阿弥陀仏に、人間の智慧を持ってゆく。其処えものさしを持って行く。人間で計れる様な法なれば、この私等は助からぬ。

・条件の付けない念佛
 条件の付かぬ念佛

・阿弥陀さんから信心をもらうのではなく、阿弥陀さんをもらう。阿弥陀さんから念仏もらうと、思っていたが、念仏が阿弥陀さんであった。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

西田幾多郎曰く
「迷いは罪悪の根源である。而して迷うと云うことは、我々が対象化せられた自己を自己と考えるから起こるのである」


 西田幾多郎博士の言葉はなかなか受け取りにくい事ですが、『場所的論理と宗教的世界観』の中の言葉です。見られた自己を本当の自己と認識しているところに既に迷いが生じているということです。

 松並松五郎さんの言葉はすっきりとお念仏のお心が表現されており、そのまま受け取ることができます。「条件の付けない念佛 条件の付かぬ念佛」はすこし難しいかもしれませんが、お念佛に補助するような何かが必要な訳でもなく、そもそも、わたしたちの方が考えたような条件を付けようとしても付かないのがお念仏だということでありましょう。それぞれ味わってみてください。

 松並松五郎さんの言葉はどれも簡素ではありますが、どれも阿弥陀さんが浸透しているからこそ出てくる言葉になっていますね。

ナンマンダブツ
ナンマンダブツ

次回の念佛座談会は12日です。