2016年8月25日木曜日

    大阪名物南御堂盆おどり
             今月27日・28日に開催

難波別院では、今月27日(土)と28日(日)の午後6時から、第54回「南御堂盆おどり」を開催する
(両日とも小雨決行)。


大 阪の夏の終わりを告げる南御堂の盆おどりは、毎年数千人が集う恒例の行事。境内には、やぐらを中心とした踊りの輪が広がるとともに、都会の真ん中で河内音 頭が響き渡る。また、今年も産経新聞社で企画された「逸品縁日」の人気メニューの屋台出店など、多彩な屋台が建ち並び賑わいをみせる。

出演者に、河内音頭宗家初音家の初音家秀若さん、キングレコードの弘田るみさんの他、特別公演として「西小宿八月踊り保存会」による奄美大島小宿に伝わる八月踊りが披露される。
両日とも先着500人には、境内屋台で使える「お楽しみ券」と竹製うちわをプレゼント(受付=午後5時30分頃)。

なお、当日は境内に駐車できませんので、電車等の公共交通機関をご利用ください。
難波別院へは、地下鉄御堂筋線・中央線「本町」駅下車、南へ徒歩5分。


2016年8月20日土曜日

島根にいきました 完結

 「島根にいきました」はこれで最後です。

安楽寺さんから引き続きです。

安楽寺様から才一さんの家までは徒歩でもすぐの距離にあります。

事前に何も調べずに訪れた安楽寺様でしたが、安楽寺様には南より訪れる予定でした。しかし、道を間違えて本来曲がらなければいけない所で曲がらず通り過ぎた結果、才一さんの家の前を偶然に通りかかることになりました。

「あ、才一さんの家や」
「あー、後で寄りましょう」

ということで、安楽寺様を訪れた後に才一さんの家にも寄らせていただきました。

 浅原才一さんの自宅は今でも現存し公開されており、だれでも自由に出入りできるということで施錠はされておらず、私たちも少しの時間でしたが中に入らせていただきました。ちなみに才一さんが74歳頃に建てた家だということです。



今でも当時の空気感は感じれます


鉋屑に歌を書き留めていたのですね


中に入ると整理された遺品と作業されていたであろう仕事道具がありました。

才一さんの仕事場は車が行違える道路に面しており、光を多く取り込める部屋でした。私は勝手に狭苦しい部屋で作業していたのではないかと思っていましたが決してそのようなことはなく、非常に開放的で、風通しもよく、表の様子もすぐに伺えるような仕事場でした。ちなみに仕事場の右にかけてある提灯に「加島屋」とありますが、才一さんの屋号です。
 
お念仏を称えながら黙々と仕事する姿は、通りから多くの人の
目に留まったことでしょう。

 
お内仏

 才一さんは後生の解決がどうしてもつかず、聴聞を捨て、お内仏の扉を閉じたということです。
そのお内仏がこちらのかどうかはわかりませんが、命がけの聞法生活であったということは言うまでもありません。

「せきしゅ こばまは よいところ
ちしきにあわせて 弥陀をきく
なむあみだぶの もんにいらせて」

せきしゅ(石州=石見国)小浜はよいところ、と歌っていますが、才一さんにとっては辛い事が多かったのではないかとおもいます。殊に両親の事に対しては愛情というよりも「おやが死ねばよいと おもいました」と晩年に述懐しておられます。そういう中でも阿弥陀様に出逢わせていただき、よき師に出逢うことができた小浜を「よいところ」と喜んでおられます。才一さんのお念仏の声が今に聞こえてきそうな、そんな才一さんの家でした。是非訪れてみてください。

仕事場から見るお内仏
 


温泉津小浜を後にしたのは午後5時頃。この日は出雲まで足を延ばし、出雲にて宿泊。
17日(最終日)は早朝より出雲大社に行き木綿街道、昼食を松江城の堀北にある出雲そば処で済ませ、午後は足立美術館にいきました。この辺りはみなさんご存じの方が多いかと思いますので省略します。


大まかな計画はあったものの、詳細を詰めず、お盆のお参りを終えたその足で島根に向かった割には非常に濃密な旅となりました。幡谷先生に久しぶりにお会いすることが出来、浅原才一の息遣いが今にも感じられるられたことは本当に嬉しいものとなりました。ただ西宮からは長い道中でしたので多少疲れました。
 次はゆっくりと訪れたいと思わせる、そんな島根の旅でした。 
 
                        完


なむあみだぶつ なむあみだぶつ


2016年8月19日金曜日

島根に行きました 2 

「島根にいきました 1」に引き続きということで「2」としましたが、今回は「妙好人 浅原才一」に触れたいとおもいます。

 まず、「妙好人」というのは、念佛者をほめ称えていう言葉で、好人、上上人、希有人、最勝人とも言います。特に浄土真宗では篤信者をいう場合に使われます。
 
浅原才一は1850年(嘉永3年)石見国邇摩郡大浜村字小浜(現在の島根県太田市温泉津小浜)に生まれ、1932年(昭和7年)1月17日に往生されました。才一は50歳頃まで船大工でしたが、その後履物屋に転職し、それ以降は下駄を作り続けました。
 下駄を作りながら、その鉋屑などに書き留めた歌は、鈴木大拙師によると「日本的霊性的直覚が、純粋な形で顕われている」ということで、大拙師自身の著書である「日本的霊性」に才一の歌のいくらかが取り上げられています。
 
 才一は法悦三昧、念佛三昧の中で仕事をし、ふと心に浮かぶ心を不器用ながら書き残していますが、それによって仕事を疎かにはせず人一倍働いていたということです。その生活の中で生まれた歌は何か決まった形をとるようなことはなく、才一の宗教体験そのままに生まれたものです。
非常に有り難い言葉の数々ですので、機会があったらということではなく、是非味わっていただきたいとおもいます。
 
その浅原才一が生涯過ごした温泉津小浜を今回訪れ、まず才一が聴聞を重ねたお寺浄土真宗本願寺派安楽寺に訪れました。


才一が聴聞を重ねた安楽寺



本堂の中、左手に才一のコーナーがあります。





才一の使っていた遺品 


事前に安楽寺様にお伝えしておれば説明もしてくださるという事でしたが、到着時刻などが明確ではなかったためにお参りできる範囲でさせていただこうということになり、3人で本堂に上がらせていただきました。ちなみに施錠はされていなかったので自由に入れたのですが、たまたま開けておられたのかどうかはわかりません。


中央が才一 小柄で無口な方ということです

地元の日本画家 若林春暁作
角が生えていますね・・・
法名は「秀素」
上部の讃は安楽寺の梅田謙敬和上のもの





才一の歌は常に「なむあみだぶつ」でいっぱいになっています。それは才一の「なむあみだぶつ」はこちらに「ぶつかってくる」経験が歌になっているものです。才一の歌に

「わしが聞いたじゃありません、
わしが聞いたなありません。
こころにあたるなむあみだぶつ、
いまはあなたに打たれ取られて」

とあります。心に溢れるなむあみだぶつが才一の口より出で、その味わいが歌となって今日まで残り、こうして触れることが出来るのは残し伝えてくださった方々や、何よりもお念仏をよろこぶ人々が大勢おられたからでしょう。その空気に少しばかり触れさせていただきました。



なむあみだぶつ なむあみだぶつ







2016年8月18日木曜日

島根に行きました 1
 
15日のお盆のお参りを夕方に終え、そのまま島根に住職(父)、坊守(母)、副住職の3人で向かいました。
今回の目的は、幡谷明 大谷大学名誉教授の御自坊にお伺いする事と、妙好人 浅原才一の旧跡を訪ねる事などです。
 
15日は広島県の北部三次市にて宿をとり、あくる日の早朝より幡谷先生のおられる島根県浜田市に向かう事となりました。
JR浜田駅前 中央の櫓は「どんちっち神楽時計」


関西は雨が降らず灼熱の中でのお盆参りでしたが、浜田市に到着した日は朝から雨が降り一時的に暑さから解放されると思いきや、多湿度により非常に蒸し暑い状況となっていました。

 浜田市は島根県西部に位地し島根県でも有数の都市ということもあり、駅前の人通りもそこそこありました。しかも、広島行のバス停はお盆後ということもあるでしょうが行列をなしていました。ちなみに父は浜田市に何度か訪れた事があるということですが、坊守と私(副住職)は初めての訪問です。

昼頃に住職の知人である藤浪さんにお会いし挨拶を済ませ、午後に幡谷先生の御自坊を訪れました。お寺に到着すると現住職がお出迎えくださり「父が首を長くして待っています」ということで、本堂でお参りを済ませた後、先生にお会いしました。


先生と父の前には資料が置いてあり、「首を長くして・・・」の意味が容易にわかるものでした。お会いしてから2時間、先生と父は真宗教学や宗門の諸問題などについて話をしていました。先生の思索の深さや膨大な記憶量、そして圧倒される熱意にただただ驚かされるばかりで、2時間でしたがあっという間に時が過ぎ、その間のほとんどは先生がお話しなさっておられました。まだまだ話足りない御様子でしたが、 先生からの課題を受け取り、先生との別れを惜しみつつ顕正寺(先生の御自坊)を後にしました。






浜田市から次の目的地「島根県太田市温泉津小浜」までは直線距離にして約32キロメートルです。夏休みということでしょうが他府県ナンバーの車に多数すれ違い、その道中の車の数量の多さにすこし戸惑いながら走っていましたが、近くに世界遺産「石見銀山(いわみぎんざん)」があるのを思い出しました。ちなみに温泉津の一部も世界遺産に登録されているということです。





温泉津の温泉街はもう少し北にあるようです。才一の家周辺は家屋が並びつつも静かなところでした。

最初に浅原才一が聴聞を重ねた本願寺派安楽寺に参りましたが、一旦ここまで。

なむあみだぶつ














2016年8月6日土曜日

握るということ

自分の思い通りにしたいという欲求は絶えず起こってきます。
それが個人的な些細な事であっても、あるいは組織や国といった大きな枠組みに中にあっても、
何かしら自分の思い通りにしたいものです。
自分の思い通りにならず、不平不満ばかりの人生よりは、
思い通りにいくような人生を歩みたいと願い、
自分の思い描くことを成し遂げた時の喜びは、
いつ味わっても飽きる事のない甘い蜜のようなものです。
一つの成功体験は、自分に少なからず影響を与えます。
「この場合はこうすればいい」
「これさえわかっていれば大丈夫だ」
と、自分に失望していたものにとっては大きな励みになる事もあります。
しかし、成功体験を握りしめすぎて今度は失敗するという事もあります。
そのような時は手放さなければ先に進まないわけですが、
私たちは一度握ってしまったものをなかなか手放そうとしません。
手放して何もかもなくなるよりは、次は成功する「かもしれない」という非常にあやふやなものであっても、
何かを「握っている」という実感を与えてくれるものを私たちは選んでしまいがちです。
それほど過去の成功体験は私に何かを握らせるのですが、その背景には少々不安でも何かを握っていれば何とかなるかもしれないというところに「安心」を見出そうとしているということでありましょう。

松並松五郎さんの語録の中にこのような言葉があります。

「仏は握るのではない、私が仏さんに握られたノヤ。握られた証拠がナンマンダブツ、ナンマンダブツということや。仏さまに握られた姿が称名となって現れている姿であった。握られている中におる私であった。」

私が握っている物事は、私の主観によって良し悪しを決定付け、その結果に於いて取捨選択をします。
しかし、その取捨選択が正しかったのか、間違っていたのかさえも、なかなか分からないのが私たちの主観というものであります。
その虚構を映し出す私の主観では到底安心を握る事能わざる故に、仏が私を握ってくださっているのです。
「必ず助ける」
と仏が私を握り続けていることが、阿弥陀仏の「摂取不捨」なのです。
何かを握って安心しようと握るものを探し続け、
やっとの思いで握ったものでさえもすぐに色褪せていく私に、
握ったものの不確かさを示し、握る根拠としていた我が主観の虚構なる事を知らせ、
真実を握れぬわたしを握り続けている事を
「ナムアミダブツ」
の音声仏となって「今」握られている事を知らせ、お助けの成就している事を知らせて下さっています。
「ナムアミダブツ」
「ナムアミダブツ」
阿弥陀仏の呼び声を聞かせて頂くばかりであります。



逃げるものを追い続け・・・





2016年8月2日火曜日

2日 念仏座談会

 
 
玄関前に『鹿の子百合』(かのこゆり)が咲いています。
この花は南九州に自生する百合の一種で特に『甑島』に多く見られます。
 
念佛寺の鹿の子百合は、我々が甑島を離れる際に持って来たもので、彼是30年前ほど経ちますが、いまだに花をつけてくれます。
 
 この花を見ると甑島を思い出し、夏休みの思い出はラジオ体操(副住職小学2年の時)に向かう前にお朝事を大勢の村の方と一緒に正信偈を勤めし、姉と2人本堂を出て港へ行く途中の商店街を抜け、豆腐屋さんの前を通る時には大豆の蒸しあがる香りを嗅ぎつつ、ラジオ体操の会場に足を運びました。
 
 あれから30年経ちますが、「今」に当時の思い出を鮮明に蘇らせるこの花は私の中に特別なものを味あわせてくれます。
 
 
 
さて、本日の念佛座談会はまず多田鼎師の「大行論」より抜粋したものでしたが、長文につき更に一部だけ掲載します。
 
・・・・いかに齢を重ねても、我心いささかも清まらず、我智少しも明らかにならぬ。徳、愛、力、真実のこれらのものが、我生活のどこに見出されるか。いつふりかえってみても、我が胸は常に雑乱しやむことがないではなか。この胸を抱いて、今にも来るべき死の無窮の暗闇にいることは、我としては堪えられぬ。さればとてどうにもならぬ。世界一切のものを挙げ来っても、自己全体の力を揮って来ても、この胸はどうにもならぬ。いかにもならぬかというて、どうとかせねばならぬ・・・・・
 
多田師については様々な見解がありますが、師のまっ直ぐな姿勢がこの文章から窺い知ることができます。わたしたちはとかく、安易に投げ出したり腰を下ろしながら「力及びません」と言うものですが、多田師は最後まで「(我が身を)どうにかせねばならぬ」という自身の心に正直であったようです。我が力及ばずから念佛の一道を開かせられることは如来の深重なる特別の思惟のためであると師は仰います。
 
 
後半は松並松五郎師の語録より(松並松五郎念佛語録ではありません)より
 
仏は握るのではない、私が仏さんに握られたノヤ。握られた証拠がナンマンダブツ、ナンマンダブツということや。仏さなに握られた姿が称名となって現れている姿であった。握られている中におる私であった
 
特に説明はいたしませんが、みなさまはいかが味わいになられましたか?
ナンマンダブツをカタカナ表記にしているのは、それが「音声」であるということです。
 
ナンマンダブツ ナンマンダブツ
 
 
次回は9月です。8月12日は休会です。
 
盂蘭盆会は8月10日 午後2時より です。