2016年7月3日日曜日

7月に入りました (2日座談会)

 7月に入りましたが、まだ梅雨の真っ最中です。
しかし、今日は非常に暑かったですね。

 
 思わず空を写してしまうほど快晴でしたが、この写真では今日の暑さをお伝えすることはできませんね。電線ばかりが目立つのは仕方ありません。
 
 
さて、本日はまず、住職より「本当の事を聞きたいという時に『場』が必要となってくる」というお話がありました。
 聞法生活を続けていると、疑問が出てきます。これは当然の事であるとおもいますが、それに対して応えてくれる「場」の存在はどうしても必要となってきます。
 
 そういう問を持った方に開かれている場として真宗のお寺というものがあり、念佛寺におきましても、毎月の座談会や同朋会などは問いや悩みに応えるべく開き、そして学びの場として存在の意義を見出し法、お念佛を聞く場であり続けていたいという願いのもとに開いてるという事であります。
 
本日のテキストは『求法用心集』より
 
地獄覚悟で聞く気はなくとも、どうでもこうでも、我が浄土へ生れさせずばと思召す如来の大悲なれば、一日に八億四千も心がうつりかはり、悪のみ造る身なれども、弥陀の名號は利劍故きり給ふ。      

 石の落つる迄に信を得よとの仰せである。  照攝曰く。「左様で御座りますか。石が今落ちますで、今助けてやらうとの仰せで御座りますか。有りがたう存じます。今助けてやらう助けてやらうと仰せられて下されます。辨圓が御顔を拝むなり信得られたのは、助けたいばつかりの御心が遷り現はれたので御座りませうか。        
 
 
いかがいただかれましたか?
 
「今まさに死んでいこうとする、臨終の迫っている者でも助かるのが南無阿弥陀仏」というお話から各自質問等がありました。
 長年御聴聞されている方も多いですが、そこに留まることなく、それぞれに問題を出していただく事が非常に有り難い事であります。(副)
 
          南無阿弥陀仏
 
次回7月12日です。