2016年6月16日木曜日

12日念佛座談会

今回の座談会は非常に白熱した会となりました。
文章にまとめてお伝えする事が出来ない程、内容が濃く重要な事柄を多く語り合えたのではないかとおもいます。

1点だけ住職が強調していた事として

「南無阿弥陀仏はいつでも聞きもの」

ということです。
「称える」より「聞く」、「南無阿弥陀仏と聞かせていただくといった方が良い」
という事です。
称えないと聞くことが出来ないから「称えよ」となるのだが、「聞く」に阿弥陀仏のお心があるという事。

五劫思惟の結論は名となり声となって「聞かせる」であります。
ということです。
                        
        南無阿弥陀仏






  

2016年6月10日金曜日

6日 輪読会

 今回はまず、ここしばらく続いている光号因縁釈のお浚いからはじまりました。
「梯先生が非常に力を入れている箇所」であることが読み取れる程にページを割いて解説されている箇所であり、時間をかけて丁寧に進めています。

住職より「仏教は自分の心や体を生理学的に説明しているのではなく「教え」として仏に教えていただくという事である。こういう具合に受け取り、こういう様に物事を見ていきなさいよ、ということである。自然科学的生理学的に説明を言っているのではない」との事でした。

その他に「流転」「前生譚」の事など質問が出て熱心に聞き入っていました。
                   南無阿弥陀仏
 
次回は7月6日です。

2016年6月2日木曜日

念佛座談会(2日)

本日は爽やかに晴れた天気でしたが、肌寒さを感じる一日となりました。
念佛寺裏のマンションの外壁修繕工事により、すこしばかり騒音が響きましたが、座談会自体はいつも通りそれぞれの発言や思い、受け取りなどを話し合う事ができました。

本日のテキストは『松並松五郎念佛語録』『御消息』『求法用心集』より抜粋しました。

『松並松五郎語録』
数人が闇夜を行くのに、各人が提灯を持つ必要はない。先頭に立った一人が、明るい提灯を持っていれば、後の人はそれについて行けばよい。私どもは、めいめいが、やれ信心や、やれ安心やと、各人が提灯持たずとも、先頭に立って下された宗祖聖人が、明るい提灯を持って、かざして下されるから、私どもは、聖人のみ跡に続けばよい。続くとは総てをさしおいて、ただ仰せのまま南無阿弥陀仏。深いか浅いか、聖人様は渡って見せて下された。  「かならず助ける」これが仏心。仏心はまこと心。まこと心が南無阿弥陀仏。  阿弥陀様が声の仏に成りきって下された。 

『御消息』(一部抜粋)
弥陀の本願ともうすは、名号をとなえんものをば極楽へむかえんとちかわせたまいたるをふかく信じて、となうるがめでたきことにてそうろうなり。信心ありとも、名号をとなえざらんは、詮なくそうろう。また、一向、名号をとなうとも、信心あさくは、往生*607しがたくそうろう。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなえんずるは、うたがいなき報土の往生にてあるべくそうろうなり。

『求法用心集』
香樹院曰く、「聞くと云ふは坐を占めて聞くばかりに非ず。喚びづめの御聲を聞きづめにせよとなり。」また、「聞くとは寝ても覚めても御助けの仰せを思ふが聞くのぢや。」また、「名號の謂れ聞けよ聞けよと仰せらるゝが直に御回向の大信心ぢや。」「聞くのがもらふのぢや。」と。



「喚びづめの御聲を聞きづめにせよ」の御聲(南無阿弥陀仏)の謂われは「坐を占めて聞く」のであります。
御聲を聞きづめとは「南無阿弥陀仏」の口に出てくる名号と聞くばかりであります。
 
                           南無阿弥陀仏
次回12日です。
お待ちしております。



『木村無相 お念佛のお便り』発刊のご案内

今回は木村無相師33回忌に当たり、当寺院の寺報『聞名仏教』で連載しておりました「木村無相さんの法信」を一冊の本に纏め、「念佛の信心を求める人の光になれば幸い」(序)という住職の願いで発刊の運びとなりました。木村無相師と住職の関係につきましては当HP「念佛者木村無相先生」にて確認していただければ幸いです

木村無相 お念佛のお便り』では、木村無相師最晩年の書簡も含まれており、その中には木村無相師がお亡くなりになる3日前の肉声テープ音源より抜粋し掲載した文章もあります。信心を求めている方は是非とも手にして先生の息遣いを感じていただきたいと思っております。

お問合せは 念佛寺 まで