2016年4月22日金曜日

念佛寺永代経法要

本日、念佛寺永代経法要が勤まりました。
天候にも恵まれ躑躅の花も鮮やかに咲き、気持ちが軽やかになるような日となりました。

午前10時定刻よりお勤めがはじまり、後に住職法話がありました。
昼食休憩を挟み、午後2時より永代経の勤行が勤まりその後、丸山先生よりのご法話となりました。
先生の生い立ち、そして現在に至るまでの人生の中での出来事を静かな口調で話され、大変な経験をされた中から真宗に出逢われた事を拝聴させていただき、皆それぞれに思うところがあったのではないかと思います。先生も様々なところでお話をされているようですので、またどこかでお話しを聞かせていただくご縁があるかもしれません。


                 本日はようこそお参りくださいました   
                           念佛寺


 
 
 
 
 

2016年4月17日日曜日

熊本地震について

 

平成28年熊本地震における宗派の対応について

平成28年熊本地震により被災された皆様にお見舞い申し上げます。
真宗大谷派(東本願寺)

<宗派の対応について>
 4月16日(土)
2016年4月16日(土)午前1時25分頃に発生した熊本県熊本地方を震源とする地震(震度6強・M7.3)に伴い、熊本教区内及び日豊教区内に新たな被害が出ております。両教務所においては、以下のとおり対応しておりますので、取り急ぎ報告いたします。
【熊本教区内における対応】
久留米・長崎・熊本・鹿児島教務所員と宗務所派遣職員、計11名が6班に分かれ、救援物資を持参し、各寺院へ巡回御見舞に出ています。
【日豊教区内における対応】
日豊教務所員が各寺院へ被害情報を聞き取り、特に被害の大きかった3ヵ組(大分組、玖珠組、直入組)については、救援物資を持参し、各寺院へ巡回御見舞に出ております。
追って、それぞれの詳細な被害状況等については、現在情報収集中であり、分かり次第改めて報告します。


                             本山HPより

2016年4月13日水曜日

22日 念佛寺永代経法要のご案内

今月22日に「念佛寺永代経法要」が勤まります。以前より寺報やHPにてご案内しておりましたが、HPの内容に誤りがあるという指摘があり、若干修正してありますのでご確認ください。

修正内容としましては、永代経の開始時間等には問題はありませんでしたが、午前の部としまして、10時からのお勤め、住職法話が抜けておりましたが、法要自体はあくまでも午後2時からとなっております。よろしくお願いします。


修正箇所
HP
年中行事」 変更前「午前10時~」は無記載です。
永代経法要(バーナー)」に「午前10時~」を追加記載しました。


ご迷惑おかけしました。

                 念佛寺

12日念佛座談会

念佛寺近くの川の桜は見頃を終えましたが、まだ肌寒さを感じる日となりました。2日の念佛座談会は休会でしたので、久しぶりの開催であったと感じられます。

 今回はまず松並師の話となりました。松並師の人柄や師に関わった人の話などがあり、本日のテキストである「松並語録」にもよく目にかかる「東漸寺様」の話などがありました。
 
東漸寺様「本典に『聞思して遅慮することなかれ』と、これをどう頂きなさるか」と。 「私、そんなむつかしい事存じませぬ」と。   その間、「聞」とはきく、「思」は聞いて味わうて受け入れること、もらうこと。聞くまま、もらっている。だから、おもんばかりなく、二の足ふまずに、だいたんに、ゆうゆうと、こいよと言う事では無いですか。南無阿弥陀仏  
松並語録から、松並師がよく話された言葉として「真宗の三猿」ということの紹介がありました。三猿とは「不見・不聞・不言」(みざる・きかざる・いわざる)ですが、それになぞらえて松並師が「禅宗は・見ざる・聞かざる・思わざる(不莫妄想) だが真宗は・見ざる・聞かざる・驕らざる 」ということであるということでありました。この言葉は「松並松五郎念仏語録」にも収録されてありますので一度ご覧になってください。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」(教行信証 総序)から「摂取不捨の真言」「聞思」などが話題に上りました。「聞く」とは何を聞くのか、摂取不捨であることを聞くというこが「聞」の中心である、ということを確認し、自分がどうだとか、自分の姿がわかったとかもあるだろうが、阿弥陀様がわたしにどう仰っているか、こちらが大事だということでした。

後半は
東漸寺様「『汝一心にして直ちに来れ我能く汝を護らん』とは」と尋ねられて、 「間違っていましたら教えて下さい」と。 「これお前、お前はお前のまま、姿のまま念仏しておれよ。あとはわしが引き受けた。わしがここにおるぞ、お前を連れてゆくぞとゆう仏の声が、南無阿弥陀仏。『我能く汝を護らん』とゆうは、仏様が出向いて下された姿ではないでしょうか」   一心とは変わらぬ今の心のなり。これを向こうへ向けようとする。そうすると二心になる。  一般の人は、一心正念と仰せられるから、こちらから阿弥陀様の方へ向って行く様に思うが、そうではない。阿弥陀様がこちらへ向うて来て下さる。こちらから一心になって、出かけるなれば「我能汝を護らん」は、いらぬ事になる。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  
「直に来たれ」に「来いよ」と呼ばれても振り向くことはない、顔を上げる必要もない、ということである。また「来いよ」と呼ばれて「行きます」というのも違う、「来いよ」と聞くままに救われるのである、自分の事を言わなくてよい、ということでした。

                      南無阿弥陀仏