2015年10月18日日曜日

副住職と学ぶ入門講座 (歎異抄) 

18日午後6時半より、入門講座があり歎異抄をテキストとし、学びを深めました。
本日の学習箇所「後序」の初めよりすすめていきました。

今回の箇所は

右条々はみなもって信心のことなるよりおこりそうろうか。故聖人の御ものがたりに、法然聖人の御とき、御弟子そのかずおおかりけるなかに、おなじく御信心のひとも、すくなくおわしけるにこそ、親鸞、御同朋の御なかにして、御相論のことそうらいけり。そのゆえは、「善信が信心も、聖人の御信心もひとつなり」とおおせのそうらいければ、勢観房、念仏房なんどもうす御同朋達、もってのほかにあらそいたまいて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、ひとつにはあるべきぞ」とそうらいければ、「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますに、一ならんともうさばこそ、ひがごとならめ。往生の信心においては、まったくことなることなし、ただひとつなり」と御返答ありけれども、なお、「いかでかその義あらん」という疑難ありければ、詮ずるところ聖人の御まえにて、自他の是非をさだむべきにて、この子細をもうしあげければ、法然聖人のおおせには、「源空が信心も、如来よりたまわりたる信心なり。善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。別の信心にておわしまさんひとは、源空がまいらんずる浄土へは、よもまいらせたまいそうらわじ」とおおせそうらいしかば、当時の一向専修のひとびとのなかにも、親鸞の御信心にひとつならぬ御こともそうろうらんとおぼえそうろう。

信心一異の諍論と呼ばれて、非常に難しい箇所ということで表面的な事を説明するにとどまってしまったという反省はありますが、参加者から真剣な質問もあり、それぞれに確認し合えたことが多かったのではないかと思っています。

次回は、続きを進める予定でしたが、やはりもうすこし触れ直さないといけない箇所があるのではないかと感じていますので、少し考えなおします。(副)

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